丸西機械株式会社

2024.08.19

南海トラフ巨大地震注意報と、東北311震災遺構

こんにちは、中村です(/・ω・)/

本日より丸西機械は営業しております!

皆様は夏季連休どのように過ごされておりましたでしょうか?

ドロドロに溶けそうな暑さの中、中村はプライベートで宮城県に行って参りました。

一度実際に見て学ぶべき、と思っていた、東日本大震災の震災遺構を訪れていました。

 

今回は宮城県出身の知人に現地を案内して頂きました。

「人が亡くなった遺構と、そうじゃない遺構、どっちを見学したい?」と言われて、初っ端からショックを受けます。

逆に、淡々と当時の事を話せるようになった13年の年月が恐ろしいとも思いました。

 

図らずも、出発の2日前に南海トラフ地震警戒情報が流れた事もあり、この地で学べる事は沢山学んでいこうと身の引き締まる思いでした。

広大な田畑を通り過ぎ、山を抜けた先、随分遠くに海が見えました。

現在は家々も見えますが、目の前に広がっている光景は、2011年3月11日に津波によって一度消え去ったそうです。

今回訪れたのは、中浜小学校跡。

屋根下に青い看板があるのが確認出来ますでしょうか?

あの高さまで津波が襲ってきたという印です。

 

校舎は2階建て、屋上には屋根裏部屋がありました。

津波は2階天井付近まで来て、先生や生徒たちは氷点下になる夜を、物置にしていた屋上の屋根裏部屋で身を寄せ合い、助けを待っていたと言います。

津波が引き、泥や木々や流されてきた家屋のガレキの合間を縫いながら、運良く流されなかった50枚分の袋に入っていた緊急用毛布を先生方が取りに行き、防災備品のありがたみを噛み締めたと言います。

また、冷たいコンクリートの床に、行事イベントで使用した画用紙の絵や衣装などの思い出を下に敷き、少しでも暖を取るよう工夫。そして衣装ケースを便所として急拵えし使用したとの事でした。

屋根裏部屋は撮影禁止だった為、写真はありません。しかし、当時の様子を伺えるそのままの形で保存されていました。

1階の多目的ホールは集会や給食を取るスペースでしたが、写真のようにシンボルのアーチごともげて倒れています。この時には綺麗に掃除されていますが、当時はもっと悲惨な状態だったとの事です。

各部屋ごと、床の木タイルは所々剥がれ、壁や天井はひしゃげ、捻じれて。

 

それでも当時、校長先生や職員の方々の素早い判断・行動のお陰で、子供たちや近隣避難民が助かったと説明員の方が教えてくださいました。

また、学校建設当時、海近くという事を念頭に置いて建設がされていた為、土台から2mの嵩上げがされていました。

土台で2m、土台上から2階まで8m。津波は10mでした。本当にギリギリだったのです。

2階には学校の模型がありました。

囲われた透明パネルが、津波が来た高さになっています。

2mの嵩上げがあったからこそ、この学校は助かりました。

周囲の集落があった民家は、全て海に飲まれてしまったようです。写真がありました。

現在は、学校跡地周辺や津波に襲われてしまった海岸沿いはネギ畑になっています。

「ここには元々集落があって、民家がいくつもあった。でもね、津波で全部流されちゃったの。今は一面ネギ畑になっているでしょ?人が住んじゃいけませんよって印になっているんだよ」

生きて助かった人々が見た屋上から、すぐそばにある広大な海を眺めました。

下に黒いフェンスがあるのが分かりますでしょうか?あそこが嵩上げ2mになる所です。

 

「当時は、津波の危険を感じず、地震後の片付けをしていた人が多かった。10分で津波が来ると言われていたけど、実際は1時間もあった。それなのに沢山の人が死んでしまった。逃げなかったんだ。津波が来るだなんて思っていない人の方が多かった」

 

★★★この学校にいた人々は何故助かったのか?

学校の建築が2mの嵩上げがあったのも勿論ある。

しかし、当時の先生方はしっかりと311が来る前に対策や準備を行っていたから助かったのです。

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普段から防災訓練を行っていた。

②3/11の前、3/9に、小さいが地震(震度3)があり、津波警報が出た。

 →3/10 次の日には急遽、防災減災のための教育を先生や児童たちで話し合った。

  また、先生方は避難マニュアルの再確認を行った。

  (避難手順・避難先・所要時間(より内陸部にある近くの小学校まで子供の足で約20分必要))

3/11巨大地震発生、大津波警報発表

10分で津波到達するという予想があり、内陸部寄りの小学校(避難先)への避難には20分掛かる校舎での避難を決行

10m以上の津波を予想との情報が更新され、校舎の高さを急ぎ計算し2階でも危険と判断して屋上へ

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現在では垂直避難(内陸部へ逃げるより、高い所への避難)が主とされていますが、上記が参考になる例です。

自分の家や居場所がどこなのか、そこから避難出来る場所はどこにあるのか、どのくらい離れているのか?危機回避のポイントになると思いました。

出先ではなかなか難しいですね・・・しかし、住んでいる場所やお勤めされている場所は決まっています。

率先して、事前に現在地の高さや避難先までの距離時間を把握していましょう。

 

自分は助からなくてもいいや~、とお考えの方。

貴方の大切な人は?家族は?仲間やお友達、一緒に働いてくれている従業員は?

 

少なくとも、南海トラフ巨大地震の注意報が出てハッとされた方は多いのではないでしょうか。

今回も気象庁より発表がありましたが、過去の統計データとして"小さい地震や関連性の高い区域での地震は短い期間で巨大地震が起こっている"との見解がありました。

南海トラフ巨大地震注意報が解除されたからといって、危機が完全に去ったわけではありません。

上記のように、2日前に小さい地震があったから先生方は急遽対策を取り、沢山の命を守ったのです。

いきなり今日明日来るかもしれない!という気持ちを心に留めながら、毎日を大切に過ごし、有事への備えをしていきたいですね。

 

そんな丸西機械は、機械工具商社でありながら、設備環境や備品などのお取り扱いもしております!

勿論防災グッズも各種御座います。

大容量のバッテリーも御座います!

https://www.nayuta-co.jp/

【ナユタ】さんは、なんと静岡県浜松市の企業さんです。

有事の際のための様々な企業さんへの導入や、病院・夜間の工事現場でもお使い頂いているそうです。

 

自宅の状態や家族と連絡が取れず、会社に一時避難する時が来たら?

道路状況が悪くて自宅に帰れなくなってしまうかもしれません。車だって流されています。

津波時、周辺は泥やガレキが多いです。果たして安全な避難先へ自らの足で辿り着けるのでしょうか?

そういった時に、是非会社にも非常用セットを御準備ください。

南海トラフ巨大地震注意報により、在庫僅少、または入荷待ちになっている商品が多く御座いますが、生きてるうちに出来る事の最大の備えが必要なんだと実感しました。

その他にも「こういうの無いかな?」という御相談が御座いましたら、是非弊社担当までお問い合わせください。

 

また、以前ブログにも載せましたが、弊社ベトナム作業者向け防災マニュアル(まとめ)も作成しました。

以前の記事URL▼

http://www.marunishi-k.com/topic/view/84

日本語も交えて製作しております。御社にベトナム人作業者がおられましたら、是非ダウンロードしてお使いください。

帰り道の高速道路からの景色。

この写真の一体も、ここからでは見えない遥か向こうの海からやってきた黒い津波に全て飲まれました。

この高速道路が、当時防波堤になったのだと言います。

 

ここには津波が来ない、地震が来てもなんとかなる。・・・なんて本当に思ってる?

そんなの、誰にも分からない。

 

8/20 追記--------------------

下記URLは内閣府による南海トラフ巨大地震のシュミレーション映像です。

短時間で見れますので、ご参考ください。

https://wwwc.cao.go.jp/lib_012/nankai_02.html

 

また、静岡のラジオでご紹介ありましたサイトです▼

https://www.pref.shizuoka.jp/bosaikinkyu/sonae/1040812/1029856.html

浜松市防災マップよりも簡易的に見やすいので、こちらもオススメです。

ご参照ください。